チェルノブイリボランティア治療報告

 NPO法人「食品と暮らしの安全基金」(代表小若順一)主催の「チェルノブイリ子供の痛みをなくするプロジェクト」に参加し、チェルノブイリ原発現場の見学、子供たちの治療、父兄に家庭療法講習会(セミナー)、現地のボランティア団体との交流、バレリーナの治療など行ってきたレポートです。

チェルノブイリ原発現場レポート

石棺に覆われた29年前事故を起こした4号炉
石棺に覆われた29年前事故を起こした4号炉

2015年11月22日夜キエフ空港に到着し、キエフ市内のホテルに1泊、翌日マイクロバスでチェルノブイリ原発に向かった。キエフから北へ約100Km、市街地を抜けると森と畑が延々と続く。道は悪くなりガタガタ道。約2時間走り、立ち入り禁止の30Km圏の検問につく。銃を装備した警察官が警備していて撮影禁止であった。許可証とパスポートを提示して入る。そこから、15分くらい走ってチェルノブイリ市の入り口の標識に着く。(スライド写真)原発犠牲者の慰霊塔、殉職消防士のメモリアル、原発のメモリアル公園には廃村になった村々の標識が延々と立ち並ぶ、奥に入ると廃屋が森の中に点々と見えた。中には立ち入り禁止を無視して暮らしている老人がいた。さらに30分ぐらい走って原発の煙突が見えてくる。

 車内で線量計を出し計測したらすごい高い数値0.6μsv以上、近付くとどんどん上がり警報は鳴りっぱなし。3~4μsvまで上がる。不気味だ。不安になるが来た以上じたばたしても仕方がない。

 爆発を起こした4号炉は石棺に覆われているが、耐用年数30年。来年は横に建設中のシェルターで覆う予定。これは100年もつらしい。写真を取ったら早々と立ち去る。次に廃墟となった原発都市プリピャチへ。原発の従業員たちの宿舎、庁舎、ホテル、文化施設、娯楽施設、スーパーマーケット、遊園地など29年たって道路は自然に生えた木や草で覆われ、建物は廃墟と化し、死の街である。歩いていると、ヨモギが自生しているのを見つけた。(写真)これがニガヨモギか?

 その後、ホールボディカウンターで検査を受けた後、恐怖の「原発食堂」で食事を取った。

 天気がどんより曇り、うすら寒く、余計に嫌な気分になった。

こんなことを2度と起こしてはいけないのに、また福島で起こしてしまった。

人間はなんと愚かなものか。

そしてまた再稼働を推進する政府。原発推進者に一度来て見てもらいたい。

中国の沿岸部、韓国も原発だらけ。事故を起こしたら我々も被曝は確実。

狭い日本は住むところがなくなる。

もはや取返しのできないところへ来てしまったのか?

これから福島や近隣で健康障害が増えるであろう。しかも、何世代も原爆症で苦しむのだ。

ニガヨモギ(チェルノブイリ)があった!
ニガヨモギ(チェルノブイリ)があった!
廃屋が森の中に点々とある
廃屋が森の中に点々とある
車内で0.61を示す線量計
車内で0.61を示す線量計
恐怖の原発村の食堂
恐怖の原発村の食堂

余談ですが、こんな話が都市伝説になっています。

天使が吹くラッパ(チェルノブイリ原発事故メモリアル公園に立つ像)
天使が吹くラッパ(チェルノブイリ原発事故メモリアル公園に立つ像)

ヨハネ黙示録

『第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。』
[8-11]『この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。』

「水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ」という暗示は、放射能であると容易に推測される。近年で、放射能により多くの人が死亡した事故といえば、チェルノブイリの原発事故が思い出される(一九八六年)。そこで、チェルノブイリについて調べてみると、なんと、プリピャチ川が原発のすぐ横を流れ、キエフ湖、ドニエプル川へと流れ込んでおり、このプリピャチ川が猛烈な放射能汚染をしているのである。そして三千五百万もの人が利用している水源の貯水池が、その原発の近くにあるという。東ヨーロッパからモスクワにかけての広大な地域が、深刻な放射能汚染の後遺症に悩まされ続けていることも明らかになった。(『チェルノブイリから広島へ』広川隆一著、岩波ジュニア新書、P 10 参照)。文字通り「川の三分の一とその水源の上」ではないか。さらに驚くべきことに、チェルノブイリという名はロシア語で「苦よもぎ」という意味である。ロシア語の大辞典には、「чернобыльник〈植〉にがよもぎの一種」と記されているのである。