ナゼ?今、チェルノブイリ?

「チェルノブイリ子供の痛みをなくするプロジェクト」

(NPO法人食品と暮らしの安全基金(小若順一代表)主催)

食品と暮らしの安全基金の活動ーなぜ?チェルノブイリ?

11月23日(月)チェルノブイリ原発及び廃墟の原発都市プリピャチ見学

  24日(火)モジャリ村学校を訪問

 女校長以下教員が玄関で我々一行を出迎え、校長室に招かれてから講堂へ。そこで子供たちの歓迎の歌と踊りです。そのあと歓迎行事、校長以下幹部教員が前に立って挨拶をして、手作りパンを小若代表に手渡しました。これがウクライナの歓迎のしるしだそうです。昼食会は学校の調理室で作ったウクライナ料理が所狭しとテーブルに並べられ、手作りウオッカで乾杯です。ウクライナでは必ず3回乾杯するのです。1回目は「友情に」2回目は「健康に」3回目は「女性に」、で3回目だけは男性は起立して乾杯するのが習わしとか。口当たりがいいのでついつい飲みましたら、ドンドンついでこられました。

25日(水)ナロジチ区長訪問。ナロジチ学校調査。自家製牛乳を飲んでいる家庭調   査。牧草地見学。

26日(木)ピシャニッツア村学校でも同じように、子供たちの歓迎の歌と踊りそして手作りの料理と手作りのウオッカで校長先生自らもてなしてくれました。

27日(金)原発から32Kmのラディンカ村村長、ナターリヤの家庭訪問。手料理でもてなしてもらう。

 こんなに大歓迎されてもてなしてくれるのは、過去に小若代表がこの地域に援助をして大きな貢献をしているからなのです。今回のウクライナツアーは6回目。

成果を上げている「日本プロジェクト」

 そもそも、小若代表がチェルノブイリに注目したのは福島原発事故が起きてから日本の健康被害はどうなるのだろう?と考えた時にウクライナではどうなのか調査をしてみようと、考えました。2012年に最初の調査をした時に非汚染地域で「足が痛い」と訴える子供に出会い「オカシイ」と直感し、更に第三種汚染地域の学校で調査をしたら足が痛い、頭が痛い、のどが痛いなど体の異常を訴える子供が異常に多いのに、測定線量は低かったのです。そこで森で取れるキノコ、ベリー類、川魚を食べないで汚染されていない食事を提供して調べたら良くなったそうです。原因は内部被ばくだと考え、自家菜園に化学肥料を提供して、ミネラル豊富な粉末だしなどを提供して調査したら、子供たちが良くなってきたのです。更に四肢麻痺のミーシャやワジムも見違えるほど良くなっているのです。現地婦人団体「希望」の代表タチアナさん、学校の校長、村長、研究者など巻き込み、在ウクライナ日本大使館から「草の根プロジェクト」の支援要請のため、今回大使館を訪問し参事官に説明してきました。一民間団体の募金だけでは限界があるのです。全員の子供たちを良くして実証したい。それが福島の子供たちの健康障害を良くすることにつながるのです。

 28,29日(土・日)は関係した村長、校長、研究者など総勢50人近くがホテルで合宿交流会を開き、「子供の健康を守る校長会」が小若さんの肝煎で結成され、活動資金も寄付しました。

30日(月)「ザポルーカ」(がんの子供を支援する子供の家)と「チェルノブイリ同盟」訪問。夜、交流会。

12月1日(火)

講演会 血液学者セルゲイ・クリメンコ「5年目からのがん発生状況」

日本大使館訪問し、参事官に草の根運動の支援要請と活動の説明をした。

講演会 ウラジミル・ブズノフ教授「5~10年までの病気発症」

 

ウクライナのテレビニュースで紹介されました

ウクライナについて 

 ウクライナといえば、昔学校で「ヨーロッパの穀倉地帯」と習った覚えがあります。ソ連時代は「コルホーズ・ソフォーズ(国営農場・集団農場)」を習いました。チェルノブイリ原発事故は29年前に起こりましたが、当時はソ連だったので、今もロシアだと思っていました。当時はソビエト連邦内だったのですが、1991年ソ連崩壊とともに、チェルノブイリは独立したウクライナ国内北部にあり、ロシアとベラルーシ(ソ連時代は「白ロシア」と呼んだ)の国境に近く、放射能汚染は両国内にも広がり大きな被害を出したのです。現在はウクライナの管理下に置かれ、大きな負の遺産になっています。更に2014年にオレンジ革命で親欧米派政権ができてからロシアが介入してクリミアが独立してロシアの管理下にあり(ウクライナは認めていない)、東の州の一部もロシアの影響下です。現在、ロシアとの貿易や天然ガスの供給が制限され経済的に困窮していて、国家財政は苦しくロシアに大きな負債を抱えています。それを物語るように道路は郊外に出ると整備されてなくガタガタでした。日本は田舎の農道まできれいに舗装されていることと比較すれば、いかに日本が豊かなのかわかります。公共事業に無駄遣いをするくらいなら、困っている国にもっと援助すれば日本は世界から尊敬される国になるのに、と思いました。東部は工業地帯でロシア系住民が多く、西部は農業地帯でウクライナ系住民が多く住んでいます。西部地区だけでは経済的に立ち行かないそうです。

ウクライナの地図ウクライナ地形地図(ここをクリック)

 言語はウクライナ語でロシア語と共通の部分もあるそうです。

国土面積は日本の倍近くあり、人口は日本の半分以下です。(約5千万人)

首都キエフ(人口約300~400万人くらいか?最近不景気で失業者が地方から流入し人口が増加しているそうです。)は、山の上にできたような古いヨーロッパ風の都市です。石畳があり古いヨーロッパの街並みを連想させる荘厳な建物が残っていました。新しい商業ビルもありました。街の中にも木々が多く残っていて自然豊かな感じでした。郊外の高級住宅地には高い塀に囲まれた大きなお屋敷もありました。

 郊外に出ると、山が全くなく、どこまでも続く広大な畑や森ばかりです。大昔は広大な森に覆われていたのでしょうか。私たちは キエフから北へ約100kmほど車で走りチェルノブイリ原発まで行き、そこから西へ100km以上走り、地方都市のオルヴチのホテルを拠点に主に北部の村を回りました。北部は低湿地や森林が広がり、南部は黒土地帯だそうです。これも「肥沃な黒土地帯」と、昔学校で習いましたが、黒土地帯には行きませんでした。更に南は黒海に面し、クリミア半島やオデッサは温暖で保養地だそうです。西に山岳地帯があり2000M級の山があるそうです。クリミアはクリミア戦争とヤルタ会談ぐらいしか知識がありませんが、ギリシャ時代から多くの民族の攻防の歴史の地で、ウクライナも同様東西の民族の混血により「ウクライナ美人」が作られたのかも?

 

気候

 世界的に温暖化しているせいなのか、ウクライナも暖かい方だそうですが、大阪の真冬の寒さでした。行ったときは曇りでうすら寒く、曇りの日が続きました。たまに少しだけ晴れたと思えばまた曇り、冬はこんな天気が多いそうです。暖かい太陽と晴れた青空にあこがれる気持ちが良く分かります。そういえば、ウクライナの国旗は、青と黄色のツートンカラーです。農家の家の窓枠なども青いペンキで塗っているのをよく見かけました。青空へのあこがれなのでしょうか。キエフに帰ってから、雨から雪になり、路面は凍結した日もありました。最高気温4~5度、最低気温マイナス2~3度でしょうか。これからもっと寒くなります。しかし、室内は暖房が効いてどこに行っても暖かかったです。農家の暖房は、家の中央にタイル張りのペチカがあり、燃料はガスでしたが、ロシアからの供給が制限されてからは薪を使っていました。出た灰を畑にまくと放射能に汚染され問題なので、土中に埋めるように言いました。

 

ウクライナ料理

 ボルシチはウクライナの伝統的な赤いスープで毎回最初に出てきました。中身は毎回違っていました。上にサワークリームが載せてあります。思ったよりもアッサリ系でおいしかったです。揚げパンと一緒に頂きます。

 いろんな料理が出てきましたが、基本はジャガイモ、キャベツ、肉などを使ったバター、チーズの料理が多く、皆おいしかったです。特にジャガイモはマッシュドポテトが添えてありとてもクリーミイです。日本人の味覚にもマッチします。

サバ料理が何回か出てきて、びっくり。こちらもサバよく食べるのか。しめさば?と思いきや、上にオニオンスライスが乗ったサバのマリネでした。味はしめさばみたいでしたが、ぶつ切りだったのでこちらの人は不器用なのか、と思いましたが、3回目には三枚におろした切り身のマリネが出てきました。

 夏野菜もサラダで出てきておいしかったです。生のパプリカはとても甘かったです。さすが農業国だなー、と思いました。

 キエフのホテルの朝食は、ビュッフェスタイルで生ハム、サラミはさすが本場の上質のものでした。パンも美味しいものがありましたが、チーズはいまいちかな。

ただ、私は普段はハム、サラミなどの加工食品は食べません。