学んだこと

その1 手で病気を治すということ

 血液循環療法との出会い

 私は最初に「血液循環療法」を知ったのは今から40年以上前の学生時代だった。病院で治らない病気を手で治す人がいることを知った。すごいことだと思ったが、半分信じられなかった。そんなことがあるのか?その時に小山善太郎先生の著書「百病治癒秘訣」を見せてもらった。その本には誰でも知っている歴史上の有名人が実名で治った症例が出ていた。いろいろ調べているうちに、「家庭における実際的看護の秘訣」(通称「赤本」海軍軍医築田多吉著)にも「がんは不治の病ではない」の項に小山先生が時の内務大臣床次竹次郎の胃がんを治療して治った記事が紹介してあった。同じ話は「指圧療法」(増永静人著)や「がん治療に残された道」(医学博士藤田正直著)にも紹介してあった。どうも本当らしい。がんが治るのか。これはすごいことだ。自分でもやってみたくなった。いろいろ調べたり、話を聞くうちに単純に「血液循環療法」を習って施術すればどんな病気でも治ると思た。その頃は若かった。この思い込みが後で大きな苦労となろことも知らず。今なら言える。腕次第なのだ。

 治療の心

 昭和55年周囲の反対を押し切って国家公務員(水産庁調査船勤務)を辞職し、仙台へ引っ越しして入門した。先生はすごい症例を色々話してくれた。その中で特筆すべきは、東北大学病院に入院中の「肝硬変末期状態」の患者さんを治療して治した話だ。この話は「血液循環療法・基礎編」に詳しくあるので参照されたし。「自分が自分の主治医」にも一部紹介してある。私は肝硬変が治った本人、その奥様にも会って直接話を聞いたので真実である。間違いない。肝硬変が治った方はその後長生きされた。私は村上先生に質問した。「大学病院で内科長の教授からもう治りませんといわれ、しかも肝硬変末期状態。そんな患者さんから治療を依頼されても、常識的に考えれば、もう手遅れで、何をしても治らないと考えますよね。それを、どうして引き受けて病院まで行ったのですか?」先生はこう答えた。「病院で治らないんだったら私が治してやろうと思った。」これって、すごい自信、そして信念。うーん、参った。そして本当に治したのだから。大学病院だってびっくり仰天だよ。退院後、病院のスタッフが生きてるかどうか患者さんの家まで偵察に来たそうだ。

 村上先生の驚くべき治療効果のあった話を聞いていると共通点があることが解った。最初に患者さんの話を聞き、いろんな病院に行っても病気が治らず困っているとか、悩んでいるか、よくよく話を聞く。そんなに困っているのならよーし、俺が治してやろう。その意気込み、信念。それがすごいのだ。そして治療に取り掛かる。治療中の気迫たるやすごいものがあった。

 私はこの気持ちが大事ではないかとずーっと思っていた。何故なら、小山先生の血液循環療法を考案したきっかけとなるエピソードを本を読んで知っていたからだ。そのきっかけとなるエピソードは、横浜の海岸を歩いているときに、突風で帽子が飛ばされそうになり、思わずリウマチで動かなかった手で押さえようと動かしたら、痛みのため卒倒した。気が付くと動かなかった手が動くようになっっていた。そこで、思い出したのは帰りの汽車の窓から見えた箱根の山、いざり勝五郎箱根霊験躄仇討)のかたき討ちの話だ。かたき討ちの話は日本の歴史上たくさんある(忠臣蔵や曽我兄弟の仇討など)が、戦後占領軍(GHQ、マッカーサー元帥)により禁止され一切表に出されなくなった。何故なら、日本人がアメリカをかたき討ちすると困るからだ。当時、アメリカを恨んでいた人たちはいっぱいいた。だから、極東軍事裁判で日本軍部を悪者に仕立て「悪いのは日本軍国主義とそれを指導した軍部だ」と憎しみをそちらの方向に向けさせた。その話はさておき、勝五郎は箱根の山でかたき討ちに出会い、いざ宿年の仇を討とうと気合を入れたらいざり(足が不自由で立たない状態の意味)だったのが、立つことができて見事本懐を遂げたというお話である。小山先生はリウマチで不自由だった自分の手が動くようになり、どうしてだろうかと考えたら、いざり勝五郎も気合を入れて仇を討とうとしたら足が動いた。ここに何が医学で説明できない秘密があるに違いないと考えた。

氣血循環療法

 つまり、現代では「氣」という概念で理解されている。しかし、その当時小山先生は「氣」という言葉は使っていない。その後、昭和初期に自然農法を始めた岡田茂吉という人が始めた手当療法(のちに「手かざし」)が有名だが、他にも多くあり、アメリカに渡って逆輸入されたレイキ(霊気)や西洋のヒーリングもすべて氣のパワーを使う。合気道の植芝盛平の弟子藤平光一の始めた氣圧療法も同じ流れである。小山先生が血液循環療法を考案したきっかけは医学では解明されていない力(「氣」の力)を実体験し、それはキリストの故事など多くの奇跡的といわれていた現象に関係していることに気づいたからだ。その後、小山先生は高尾山で1週間断食修業をして、山中で蔦がからみついて枯れた大木を発見して「血液の循環」が重要だと気づいて「血液循環療法」と命名した。

 私は最初、このような経過を知らなかったので「血液循環療法」なのだから「血液の循環さえ良くすれば病気が治る」と思っていたが、実際に開業して治療をやってみると思ったように効果が出ずに壁に当たり、いろいろ勉強していくうちに「氣」の重要さに気づいた。だから、正確に表現すれば「氣血循環療法」なのである。

その2 治療の継続

 私が入門したとき、私の師匠のところに来た患者さんは皆さん重症患者であったが、毎日通院して来られ治療を受けられた。重症者で無ければ毎日治療する必要がないが、慢性化した患者さんは必ず「症状の戻り」がある。ひどい方は治療直後は症状が軽減あるいは消失しても、翌日には戻ってしまう。3回くらい症状が戻ると「何度治療を受けてもその時は良くなるが、すぐに戻ってしまう。これではいくらやっても治らないのではないか。」そう思って止める人が結構いる。しかし、こちらのいうことを信じて根気よく通ってくる方は皆さん良くなっている。

 症状が戻る患者さんは、戻らないうちに次の治療をするのが良い。翌日戻る人は毎日治療する。すると何日か継続すると戻り方が遅くなり、いい状態が続くようになる。そうすると様子を見ながら治療間隔をあけていけばいい。

 良くなり方(治癒力)はみな違う。簡単に言えば、治癒力の高い人は治りが早い。若い人、普段から運動をしている人、節制をしている人などは早く良くなる。例えば、高校生くらいの運動選手がけがや故障で来院した場合は直ぐ治る。ところが、大体治療院を訪れる方は、年齢が高く、瘀血体質(血液循環が悪い体質)で不定愁訴があり、自律神経の働きが悪く、慢性化したり、いろんな治療法を過去に受けている方が多い。つまり、簡単に治らなかったので探して来られる方が多い。こういう方はどうしても、長期的に治療を継続しなければなかなか改善されない。

 治療を継続してもらうためには、運動器系愁訴や疾患の場合は、1回の施術毎に治療効果を出すことである。つまり、症状の改善、例えば「痛み」の症状の場合は、痛みを軽減させること。関節の可動域制限の場合は、可動域の改善をさせることである。その場で効果を出すには、急性期や炎症の症状がある場合は、軽めに、短めに施術する。慢性期の場合は逆に、急性期よりやや強めにやや長めに施術する。ただし、やり過ぎには注意する。特に、急性期の場合はやり過ぎると、逆に過刺激で悪化する。施術後、痛みが悪化すると患者さんは悪くされたと思って止めることがある。そのためには、指の力は極力抜いてソフトな施術をしなければならない。施術していて症状が軽減したらそれ以上やらないこと。上手にやれば急性期ほどすぐに症状が軽減する。解らない場合は、患者さんに聞けばいい。また、患者さんの体質、性別、体格、症状などに合わせた治療が必要になる。最初からなかなか捉えがたいので、数回の治療の反応を見て施術のやり方を試しながら、圧度や施術時間、施術部位(ポイント)を決めていくと良い。瘀血体質の場合は、特にお腹の瘀血のポイントの治療、全身治療が大切である。日常生活のアドバイスも行う。

 3~4回位治療を継続的にやれば、どのくらいで治りそうか見当がつく。とにかく1回の施術毎の症状が軽減する体験をすれば通院してくれる。いい兆しが出たり好転すれば、今度はもっと良くなりたいと思って患者さんのほうから積極的に来院するようになるものである。兎に角良くなるまで治療を継続させることが大事である。